奈良県庁の公文書で「架空鐵索道臺帳」(かくうてっさくどうだいちょう)(以下「架空鉄索道台帳」)という書類が存在する。それは、かつて奈良県庁が受理したロープウエーの出願記録である。その書類に記載されている文字は、毛筆による手書きであるうえに行書体が含まれているので、読み取りに困難を伴う。したがって、その書類を補完するために、奈良県立図書情報館がその書類を判読して投稿している(
こちら)。乗り鉄にとって非常に役立つ情報であるが、疑問に感じる表記が散見される。疑問に感じる表記は、次のとおりである。
(1) 架空鉄索道台帳との相違
奈良県立図書情報館の記事では、架空鉄索道台帳における表記と異なる表記が存在し、次のとおりである。
架空鉄索道台帳自体においても、目次と本文で表記が異なる点が存在する。そのことが、ややこしさに拍車をかけている。
(2) 記述順序
前述の24件の設備について、奈良県立図書情報館の記事では、目次の並びと本文の並びが異なっている。次のとおりであり、記述内容以前の問題である。
【目次】①から㉔の順
【本文】①②⑪⑮④③⑥⑦⑧⑩⑭⑯⑱⑲⑤⑦⑨⑫⑬⑰⑳㉑㉒㉓㉔の順
(3) 明平商会
架空鉄索道台帳の目次では、「會社名」として「明平商會」と記載されている。しかし、本文では、「願人」(ねがいにん)の「名稱」(以下「名称」)4文字を判読しづらいのだが、「明平商店」と判読することができる。いずれかが誤記であると推察される。
奈良県庁の公文書で「索道ノ延長貨物及賃金」という標題の書類が存在する(
こちら)。その書類では、「明平商會」と記述している。
「明平商會」に関する奈良県立図書情報館の記事では、目次では「明平商会」としているが、本文では「明平商会」と「昭平西ノ谷」としている。2通りの名称を示していること自体理解不能である。しかし、とりあえず問題視しないこととし、「昭平西ノ谷」について考察してみたい。
架空鉄索道台帳の本文を観察すると、「明平商店」の1文字目「明」は、「昭」という文字に似ている。
架空鉄索道台帳の本文を観察すると、「明平商店」の3文字目「商」は、「西」という文字に似ている。
架空鉄索道台帳の本文を観察すると、「明平商店」の4文字目「店」は、「ノ谷」という2文字に似ている。「店」という文字の1画目は「ノ」であると推定し、1画目と2画目以降を別文字と推定しうるのである。
(4) 北山(きたやま)索道
奈良県立図書情報館の記事では、低位側の地名を「大字中井浦字板橋」と表記している。しかし、「大字中井浦」(おおあざなかいうら)に、「板橋」という小字(こあざ)は存在しない。架空鉄索道台帳では、小字に該当する文字は判読困難である。三重大学が発行した資料「序章 尾驚林業の概要」において、低位側の地名を「坂場」(さかば)と表記している。「坂場」は、「大字中井浦」に属する小字である。すなわち、架空鉄索道台帳の2文字は、「板橋」ではなく「坂場」であると推察される。したがって、奈良県立図書情報館の記事における「板橋」という表記は、誤認である。
また、奈良県立図書情報館の記事では、低位側の駅名を「何枚田」(なんまいだ)と表記している。「明治44年測図 昭和6年要部修正図」に記載されている地名を読み取ったものと推察されるが、「何枚田」も「大字中井浦」に属する小字である。すなわち、「坂場」と「何枚田」は別地名である。したがって、奈良県立図書情報館の記事における「何枚田」という表記は、誤認である。
(5) 坂下(さかげ)索道
奈良県立図書情報館の記事とは別であるが、関連情報として「23☆尾鷲索道(2).pdf」というファイルを公開している(
こちら)。そのファイルにおいて、設備の名称を「坂下索道」と表記しているが、誤植であると推察される。正しくは、「柳ノ谷(りゅうのたに)索道」(または「丸三(まるさん)索道組」)である。
また、その「23☆尾鷲索道(2).pdf」というファイルにおいて、起点の地名を「柳ヶ谷」と表記しているが、誤植であると推察される。正しくは、「柳ノ谷」である。
(6) 丸三索道組
奈良県立図書情報館の記事においては、丸三索道組についても尾鷲索道についても、起点の地名を「柳ケ谷」と表記しているが、誤認であると推察される。正しくは、「柳ノ谷」である。
(7) 尾鷲索道
奈良県立図書情報館の記事においては、表中の「柳之谷索道」について、文中に「上北山村(かみきたやまむら)に初めて出現したロープウエーである」という主旨の記述が存在する。その記述において「始めて」という表記が存在するが、「初めて」の誤植である。
なお、「始めて」という表記は、「白川又索道」に関する記述においても存在する。
「始めて」と書くべきところを「初めて」と書いてしまった事例を目にしたことは無いが、「初めて」と書くべきところを「始めて」と書いてしまった事例については目にすることが多い。「最初に」という表現と置き換えてみて意味が変わらなければ、「初めて」が正しく、「開始して」という表現と置き換えてみて意味が変わらなければ、「始めて」が正しいのである。
「始めて」を単語に分解すると、「始める」という動詞の連用形「始め」と助詞の「て」である。
「初めて」は、これだけでひとつの単語であり、品詞は副詞である。
昭和の歌謡曲で「銀座の恋の物語」(作詞:大高ひさを)という曲がある。その歌詞に「若い二人が 始めて逢った」という表現がある。この曲の歌詞がテレビに表示される際には、「初めて」ではなく「始めて」と表記される。国語教育のためにも「初めて」と表記してほしいところであるが、著作権の関係で、著作者に無断で変更するわけにはいかないのである。
(8) 弓手原(ゆみてはら)索道
架空鉄索道台帳の本文において、「經過地」(経過地)として「和歌山県野迫川村辻ノ茶屋」という文字列を判読することができる。もしその判読が正しいと仮定すると、「野迫川村」は誤植であり、正しくは「花園村」である。「野迫川村」は、奈良県に存在する。
(9) 大峯(おおみね)索道
架空鉄索道台帳の本文において、「經過地」(経過地)として「下市町大字阿知賀」という文字列を判読することができる。もしその判読が正しいと仮定すると、奈良県立図書情報館の記事における「阿智賀」は誤植である。但し、駅名としては「阿智賀」を採用していたという可能性は残る。
また、同様に、架空鉄索道台帳の本文において、「經過地」(経過地)として「南葛城郡葛村」という文字列を判読することができる。葛村に「古瀬」という大字(おおあざ)が存在するので、そこを示していると推察される。もしその判読が正しいと仮定すると、奈良県立図書情報館の記事における「南葛古瀬」は誤植である。但し、駅名としては「南葛古瀬」を採用していたという可能性は残る。
(10) 安全索道商会研究試験場
この施設に関する奈良県立図書情報館の記事において、「奈良市奈良坂に」という記述が存在する。「奈良市奈良坂(ならざか)」とは、地名ではなく坂の名称である。したがって、「奈良市奈良坂に」という記述は、「奈良市奈良坂の近くに」という主旨であると推察される。なお、現在の地名として「奈良市奈良阪町」(ならざかちょう)が存在するので、かつて「奈良坂村」が存在したのかもしれない。しかし、その記事に掲載されている架空鉄索道台帳では、起点も終点も「佐保村大字法連小字東畑」と記載されている(【佐保村】さほむら)。これは、現在の「奈良市法蓮町(ほうれんちょう)」に属すると推察される。したがって、そのことからも「奈良市奈良阪町」に存在したとは考え難い。
なお、奈良県立図書情報館の記事では、「奈良市奈良坂村に」という記述も存在する。もし「奈良坂村」が存在したのであれば、それは「奈良市」発足前のことであると推察されるので、「奈良市奈良坂村」という行政区分が存在したとは信じがたい。
(11) 大阪荷箱材料
この業者のロープウエーは2路線存在し、そのうちのひとつについて架空鉄索道台帳に記録が存在する。その記録では、起点も終点も「天川村大字中越」である。「延長」(軌道長の意)は、「五哩六分」(ごマイルろくぶ)である。「五哩六分」は、約9kmである。しかし、「天川村大字中越」は長手方向でもせいぜい1kmくらいである。「延長」が約9kmということは、経路が途中で「天川村大字中越」の外を経由していることになる。それは、約8kmにわたって遠回りしていることであり、ロープウエーの本意に反する。
したがって、起点、終点、延長の少なくともいずれかが誤記であると推察される。
(12) 羽根増治郎他十名
この業者に関する奈良県立図書情報館の記事においては、起点の地名を「天川村大字洞川字一口橋」としている。しかし、架空鉄索道台帳を観察すると、「橋」ではなく「檜」という文字に見える。
架空鉄索道台帳、奈良県立図書情報館が公開している記事、およびその関連情報(「23☆尾鷲索道(2).pdf」)は、公文書である。日本の地方自治がこのようなことでよいのであろうか。本件について、奈良県立図書情報館に質問したいと考えたのだが、奈良県立図書情報館のホームページにおいて、問い合わせフォームもメールアドレスも見つけることができない。奈良県庁のホームページについても、問い合わせフォームもメールアドレスも見つけることができない。奈良県庁(特に奈良県立図書情報館)の関係者が本記事を目撃したら、奈良県立図書情報館のホームページ(
こちら)を確認していただきたい。