ツッコまずにはいられない!おかしな日本語

2021年9月2日(木)


    ネットでも炎上している、思わずツッコみたくなるおかしな日本語について記述する。

    言葉は時代の変化に応じて変化するものであり、表現の良否について何が正解であるかを論じることは困難である。
    ここで言う「正しい」や「間違い」というのは、私個人の主観である。

(1)  ぜんぜん大丈夫です
    「ぜんぜん大丈夫です」は間違いである。「ぜんぜん問題ございません」が正しい。

    本件はかなりポピュラーな話である。
    メールで「ぜんぜん大丈夫です」と表現する人はさすがに見受けられないが、口頭ではよく聞く言葉である。
    「断然」という表現に引っぱられているのかもしれない。

    一般に、「ぜんぜん」を含む文は否定文でなければならない。例外は、「ぜんぜん違う」であり、これは正しい表現である。

    小学校において、「『ぜんぜん』を使って短文を作りなさい」という問題の解答に肯定文を書くとバツである。
    本件について現役の小学校教諭に尋ねたら、「小学校では厳密な採点を必要としない(笑)のでマルにする」旨の回答であった。算数と違って本件は児童の後世を左右するほどの問題ではないという考えであると感じられた。

    かつて、読売新聞特別編集委員である橋本五郎氏が日本テレビ系「ズームイン!SUPER」において、日本語の乱れについて解説したことがあった。
    その際に「ぜんぜん大丈夫」についても言及した。
    しかし、解説の最後にみずから「ぜんぜん大丈夫です」と言ってしまい、すぐさま気づいてその場で撤回した。

    なお、昨今この「大丈夫です」が多用されることについても気がかりである。2010年頃、某大学のカフェで、外国人学生が、店員に空きテーブルを指さして「ここ、大丈夫ですか。」と尋ねた。店員は、「どうぞ。」とこたえた。その外国人学生の発言意図は、おそらく、この席に座っても良いかという確認であったと推察されるが、なんと雑な言葉づかいであろうかと感じた。周囲の日本人学生が「大丈夫です」を多用していて感化されたものと推察される。

    2021年9月2日のTBS「プレバト!!」において、俳人の夏井いつき氏が「ぜんぜんオッケー」と発言した。残念なことである。

(2)  ◯◯を送らさせていただきます
    本件は、いわゆる「さ入れ言葉」である。
【誤】◯◯を送らせていただきます
【正】◯◯を送らせていただきます
    五段活用の未然形に「さ」が付くことはありえない。

    2016年3月のNHK連続テレビ小説「あさが来た」の放送において、主人公の波瑠(はる)が演じる「白岡あさ」が次のセリフを発した。
【商売から手を引かせていただこう思うてますのや】
    これは、「商売から手を引かせていただこう思うてますのや」が正しい。
    正しい日本語であるか否かの議論の前に、ドラマの時代が明治大正の頃であることを考慮すると、「さ入れ言葉」そのものが存在したとは考えられない。

(3)  ◯◯できかねません
    「◯◯できかねません」というのは、間違いである。
    「◯◯できかねます」が正しい。

   2017年2月20日のテレビ東京「華政(ファジョン)」の
日本語吹き替えにおいて、「わかりかねません」というせりふがあった。「わかりかねます」でなければならない。

    2018年2月11日のTBS番組「サンデーモーニング」において、司会の関口宏が「判断できかねない」と発言した。「判断できかねる」でなければならない。

(4)  かんぱつをいれず
    「間髪をいれず」の読みは「かんぱつをいれず」ではなく、「かんはつをいれず」(読みは「かん、はつをいれず」)が正しい。「間一髪(かんいっぱつ)」ということばがあるので、その影響を受けている可能性もある。

    一般に、「は」行で始まる単語の前に「ん」が存在すると「は」行は「ば」行や「ぱ」行に変化する。「散髪(さんぱつ)」、「5円引き(ごえんびき)」、「転覆(てんぷく)」、「身辺(しんぺん)」、「南北(なんぼく)」など数多く存在する。「間髪(かんはつ)」はその例外であって、「間(かん)」の次に「髪はつ)」が続いても、「髪(はつ)」を「髪(ばつ)」や「髪(ぱつ)」とは発音しないのである

    コンピュータ(のIME2010)で「かんはつ」をかな漢字変換しても「間髪」にならなくて、「かんぱつ」をかな漢字変換すると「間髪」になる。哀しいことである。

    2020年10月21日のテレビ朝日「相棒」において、反町隆史(そりまちたかし)扮する冠城亘(かぶらぎわたる)が「かんぱつをいれず」と発言した。困ったことである。

    同様に、「きらぼしの如く」は間違いであり、「きらほしの如く」(読みは「きら、ほしのごとく」)が正しい。
    「キラキラ星(ぼし)よ・・・」という歌があるので、「きらぼし」という発音はそれに引きずられていると推察される。

(5)  けんけんがくがく
    「けんけんがくがく」は間違いである。「かんかんがくがく」が正しい。
    漢字では「侃々諤々(かんかんがくがく)」である。「喧々囂々(けんけんごうごう)」との混同と推察される。
【侃々諤々(かんかんがくがく)】充分に議論すること
【喧々囂々(けんけんごうごう)】大声で言い合うこと

(6)  ご利用できます
    「ご利用できます」は間違いである。「ご利用になれます」が正しい。

   「ご/お」+「動作を表す名詞」+「できる」という表現は不適切なのである。NHK放送文化研究所は、「放送では使用しないほうがよい」と表明している。

<適切な表現>
①利用する/します
②利用できる/できます
③ご利用になる/なります
④ご利用になれる/なれます
⑤ご利用はできる/できます
⑥ご利用いただける/いただけます
<不適切な表現>
①ご利用する/します
②ご利用できる/できます

    「利用する」も「利用できる」も、ふたつのことばが結合した複合動詞であるが、次なる違いがある。
【利用する
  【利用】名詞
  【する】動詞
【利用できる
  【利用】「利用する」という動詞の語幹
  【できる】動詞

    すなわち、「利用できる」は、「利用する」という動詞の派生語である。ところが、「ご利用できる」については、「ご利用する」という動詞が存在しないので、派生することは不可能なのである。

    「利用」の他に、「乗車」、「勉強」、「参加」など多くの熟語において同様のことが言える。

    都営地下鉄の市ヶ谷(いちがや)駅には、JRや東京メトロのホームに行くための乗換改札口がある。但し、都営地下鉄からJRに乗り換える際に上り階段を通らずに行くということができない。そのことを知らせるために、その乗換改札口の都営地下鉄側の壁面のポスターに「JR線・・・ご利用できません」という記載がある(2014/2/14現在)。これは、「ご利用になれません」(あるいは「ご利用にはなれません」)でなければならない。

市ヶ谷(いちがや)駅の乗換改札口

    西武観光バスの路線バス車内においても、同様の不適切表現を目撃した。それは、株主優待制度に関する注意書きなのであるが、「・・・ご利用できません」という表現であった(2017年10月30日現在)。これは、「ご利用になれません」(あるいは「ご利用にはなれません」)でなければならない。

(7)  ご報告いたします
    「ご報告いたします」のように、自分の行為に「ご」を付けるのはおかしいのではないかという意見がある。
    「ご報告いたします」は正しい表現である。
    動詞の主語が自分であっても、その動詞の行為が相手に及ぶ場合は、動詞に「お」や「ご」を付けても良いのである。

【正しい例】(相手の荷物を)お持ちします
【間違い例】(自分の荷物を)お持ちします⇒正しくは「持参いたします」など

【正しい例】(書類を貴社に)ご送付いたします
【間違い例】(書類を自社に)ご送付いたします⇒正しくは「送付します」など

(8)  とんでもございません
    文化審議会は「とんでもございません」を容認することにしたが、使用しないほうが良い。
    「とんでもない」だけで1個の単語(形容詞)であり、「とんでも」と「ない」を分けることはできない。

    口語においては、「とんでもない!」と感嘆調に言うことが妥当である。
    「とんでもないです」が良いという意見もあるが、実は、これも文法上では間違いである。
     形容詞の終止形に「です」は続かないとされている。「とんでもないことです」であれば文法に叶うが、違和感がある。

    文章語では「とんでもないことでございます」が正しいが、「あなたの発言はとんでもないことだ」とも解釈されうるので、やめたほうが無難である。
    文章語では、「とんでもない」を丁寧に表現するのではなく、別の表現にするほうが良い。
    賞賛のことばをもらったのであれば、感謝のことばなどを返せば良い。
    「滅相もない」は「とんでもない」と同義語ではあるが、1個の単語(形容詞)にまでは成長していない。したがって、「滅相もございません」という表現はありうる。どうしても「ございません」を使いたければ、「滅相もございません」が妥当である。
    アナウンサーは「とんでもございません」という表現の使用を自粛しているように見受けられる。
    しかし、TBSの安住(あずみ)アナウンサーは、かつて「ぴったんこカン・カン」のロケにおいて、「とんでもございません」を使用したことがあった。残念なことである。

    次の単語は「とんでもない」と同類であり、いずれも「ない」を切り離せない。これで1個の単語(形容詞)である。
        せつない
        はかない
        しのびない
        情けない
        はしたない
        やるせない
        あられもない
        みっともない
        おぼつかない
    「情けない」は「情け」という名詞が存在するが、「情けない」という1個の単語に成長した結果である。

    「とんでもございません」に似たことばに「何でもございません」という表現がある。
    「何でもございません」という表現は正しい。
    「何でもない」は形容詞であるが、形容詞化する前の段階である「何+でも+無い」が存在するからである。

    「とんでもございません」には有名なエピソードがある。
    「とんでもございません」という言葉を最初に発したのは、女優の山本富士子である。ミス日本コンテストの会場で、山本が「とんでもございません」と発言した。
    某審査員が「君、そんな日本語は無いよ。」とたしなめたというエピソードである。
   
「とんでもございません」は、江戸時代には存在しなかった表現であるので、時代劇において「とんでもございません、お代官様。」などというせりふは不適切である。

    なお、山本富士子は1950年の第1回ミス日本グランプリであるが、ミス日本コンテストはしばらく中断したのちに、1968年に復活第1回が開催され、その後毎年続いている。すなわち、第1回は2回存在するのである。
    その他に、1992年度(第24回)のミス日本グランプリは藤原紀香(のりか)である。
    また、西川史子(あやこ)は1996年度(第28回)のミス日本であるが、グランプリではない。

    「やるせない」には別の話題が存在する。
    昭和の歌謡曲で「影を慕いて」(作詞:古賀政男)という曲がある。その歌詞に「月にやるせぬ 我が思い」という表現がある。
    「やるせない」は形容詞であり「やるせな」が語幹、「い」が語尾である。
    語幹というのは、単語を分解した際に、活用変化しない 部分を指す。
    したがって、「やるせな」が変化することはないので、「やるせぬ」という表現は間違いである。
    しかしながら、
「やるせぬ」という歌詞を「やるせない」という歌詞にしてしまうと七五調から外れて字余りになる。したがって、作詞者は「やるせぬ」と創作したものと推察される。
    なお、似た語感のことばに「許せぬ」があるが、これは正しい。
    「許すことができない」という意味の「許せぬ」は、「許す」の可能動詞である「許せる」の未然形+助動詞の「ぬ」である。

    テレビ朝日の必殺シリーズにおいて、某役者が「みっともいい」と発言した。初めて聞いたことばである。

(9)  バカ
ョン
    「バカ◯ョン」は放送禁止用語である。

    かつて「バカ◯ョンカメラ」ということばがはやった。これは、「バカでも◯ョンでも使えるカメラ」すなわち
「操作が簡単なカメラ」という意味である。
    ここで、「バカ」という表現よりも「◯ョン」のほうが問題なのである。ここでいう「◯ョン」とは極東アジアの某民族のことを指している。すなわち「バカ◯ョンカメラ」とは「バカでもその某民族でも使えるカメラ」という意味である。

    TBSラジオの「森本毅郎(たけろう)スタンバイ」という番組(生放送)において、コメンテータがこのことばを使用したことがあった。
    森本氏は、コメンテータに「そのことばは使えないんですよ」と言った。
    そばに居た遠藤康子アナウンサーは、すかさず「ただいまの発言の中で・・・」と、用意された文章を読み上げた。その後CMになった。

(10)  始めて聞いた
    「始めて聞いた」は間違いである。
    「初めて聞いた」が正しい。

    「始めて」と書くべきところを「初めて」と書いてしまった事例を目にしたことは無いが、「初めて」と書くべきところを「始めて」と書いてしまった事例については目にすることが多い。「最初に」という表現と置き換えてみて意味が変わらなければ、「初めて」が正しく、「開始して」という表現と置き換えてみて意味が変わらなければ、「めて」が正しいのである。

    「始めて」を単語に分解すると、「始める」という動詞の連用形「始め」と助詞の「て」である。
    「初めて」は、これだけでひとつの単語であり、品詞は副詞である。

    昭和の歌謡曲で「銀座の恋の物語」(作詞:大高ひさを)という曲がある。その歌詞に「若い二人が 始めて逢った」という表現がある。残念なことである。

(11)  ひとつづつ
    「ひとつづつ」は間違いである。「ひとつずつ」が正しい。

    「ぢ」と「づ」の使用法は次のとおりである。
【原則①】同音連呼の場合は、同じかなに濁点を付ける。
  【例】「ちぢむ」、「つづく」
  【例外】「ひとつずつ」
    「ひとつづつ」で良いようにも感じられるが、「ひとつずつ」は「ひとつ」と「ずつ」の2語でできている。このような場合は同音連呼に含めない。
【原則②】複合語の場合は、「ち」と「つ」に濁点を付ける。
  【例】「はなぢ」、「ちかづく」、「うなずく」
  【例外】
「ひざまずく」、「うなずく」
    現代仮名遣いでは、「ひざまづく」と「うなづく」も許容される。

    動詞「うなずく」の名詞形は「うなずき」であり、地名の「宇奈月」の読み仮名は「うなづき」である。

(12)  ほしょう
【保証】今後のこと(未来)について約束すること
【補償】起きたこと(過去)について償うこと
【保障】社会保障、警備保障、生命保険の保障、安全保障などの例しかない

(13)  やっぱし
    「やっぱし」は間違いである。「やっぱり」が正しい。
    「ぴったし」も間違いである。「ぴったり」が正しい。
    「はっきし」も間違いである。「はっきり」が正しい。

(14)  わかりました
    社外の人や目上の人に対して「わかりました」という表現は不適切である。
    「かしこまりました」でなければならない。
     メールだけでなく電話応対でも同じことである。

【類似事例】
    お聞きしました ⇒ 承りました
    できません ⇒ いたしかねます

(15)  多摩川グランド
    「多摩川グランド」は間違いである。「多摩川グラウンド」が正しい。
    運動場は広いのでgrandのイメージが伴ったと推察される。
【グラウンド(ground)】「地面」の意の名詞
【グランド(grand)】「大きい」の意の形容詞

    アース(接地)のことを「グランド」と表現する人がいるが、間違いである。これも「グラウンド」が正しい。

(16)  コンセントを挿す
    「コンセントを挿す」は間違いである。正しくは「プラグをコンセントに挿す」である。

    「コンセント」は壁側のソケットのことである。
    なお、「コンセント」は外来語ではなく和製英語である。「コンセント」の語源についてはWikipediaに譲る。
    英語ではOutletまたはSocketである。

(17)  シュミレーション
    「シュミレーション」は間違いである。正しくは「シミュレーション」である。
    スペルsimulationを確認すれば一目瞭然である。

    同様に、「コミニュケーション」は間違いである。正しくは「コミュニケーション」である。
    スペルはcommunicationである。

(18)  ゼロキューゼロ
    「090」を「ゼロキューゼロ」と読むのは不適切である。適切な読みは「レイキューレイ」である。
    「ゼロ」は英語のzeroから派生したカタカナ語であり、「キュー」は本来の日本語である。
    「0」だけを「ゼロ」と読み、「123456789」を「イチニーサン・・・」と読むのはおかしい。
    「0」を「ゼロ」と読むのであれば「090」を「ゼロナインゼロ」と読まなければならない。

     筆者が電話相手に「レイキューレイの」と言っても、相手の復唱が「ゼロキューゼロの」となることが多く、残念に感じられる。

    テレビ番組で応募先電話番号を「ゼロサンの・・・」と言うことが多く、それが影響していると推察される。
    テレビショッピングで「トーキョーゼロッサーン」というのもインパクトが大きい。
 (但し、放送局のアナウンサーは「レイサンの・・・」と言っている。
    また、NTTの交換手も、「レイサンの・・・」と言っている。)

    なお、機器の型式などではゼロと読む場合が多い。
    これは型式を固有名詞として扱っていることによると推察される。

(19)  ワーニング
    警告を意味する「warning」を「ワーニング」と読むのは間違いである。正しくは「ウォーニング」である。

    暖かいを意味する「warm」は「ワーム」ではなく「ウォーム」である。(例:ウォーミングアップ)
    足の無い虫を意味する「worm」は「ワーム」である。

    2017年2月22日に放送されたドラマ「相棒」において、水谷豊演じる杉下右京が「ハンドリングワーニング」(取扱注意の意)というセリフを発した。「ハンドリングウォーニング」というべきである。

(20)  一本締め
    1回だけ「パン」と打つ所作を「一本締め」というのは間違いであり、正しくは「一丁締め」である。

    「一本締め」の正しい所作は「パパパン、パパパン、パパパンパン」と3・3・4回たたくことである。
    これを3回繰り返す場合「三本締め」と言う。

    非常に厳粛な祝い事の場合は「三本締め」が使われる。
    それが時代と共に簡略化されて(特に短気な江戸っ子が)「一本締め」や「一丁締め」を生み出したものと推察される。
    その関係で「一丁締め」のことを「関東一本締め」ということもあるようである

(21)  取手(とりで)から関東鉄道の電車に乗ります
    「取手から関東鉄道の電車に乗ります」という表現は間違いである。
    現時点において関東鉄道常総線は電化されてはいない。
    関東鉄道常総線を走行している車両はディーゼルカー(業界用語:気動車)であって電車ではない。
    したがって、正しい表現は「取手から関東鉄道のデイーゼルカー(または気動車)に乗ります」である。
    しかし、文章全体の主旨を類推すると、車両の種類を表現することは枝葉末節であると推察される。
    したがって、この場合は、「取手から関東鉄道の列車に乗ります」が適切である。

    関東鉄道取手駅のホームで「これは下館(しもだて)行きの電車ですか」と聞かれると困窮する。
     厳密な回答は、「下館行きの電車ではありませんが、下館行きの列車ですよ。」が正しい表現である。
    しかし、このとおり表現すると、質問者はきっと困惑すると推察される。
    妥当な表現は、「はい、これは下館行きの列車ですよ。」である。

    2015年12月20日正午から、テレビ朝日において、西村京太郎の「寝台特急あけぼの殺人事件」が再放送された。
    そのドラマの中で、高橋英樹扮する十津川(とつがわ)警部が「「あけぼの」に乗る」ことを「電車に乗る」と表現した。
    3回くらいその表現があった。
    原作がどうなのか未確認であるが、正しい表現ではない。
    「列車に乗る」という表現が適切である。
    「寝台特急あけぼの」は電気機関車が牽引する客車列車であって、電車ではない。
    電車とは、外部から電力の供給を受けて、客車自体に電動機を備えた車両のことである。
    一般に、電車にはパンタグラフが備わっている。
    例外:丸の内線の車両にはパンタグラフがないが、丸の内線は電車である。
        レールの脇に第3軌条というレールのようなものがあり、それが電力を供給している。

【電車】新幹線、サンライズエクスプレス、特急あずさ、特急ひたち、山手(やまのて)線、総武(そうぶ)線
【電車に非ず】北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレス、関東鉄道、小湊(こみなと)鐵道、いすみ鉄道

(22)  合わせて確認します
    辞書では、「合わせて」も「併せて」も同意であるかのように記載されている。
    しかし、厳密に言えば次のとおり使い分けることが望ましい。

①合わせて
    ふたつのものを一致させる、合体させるという意味を伴う。動詞「合わせる」の連用形+助詞「て」である。
    したがって、何か器具を「合わせてみて」確認するという主旨であれば、「合わせて確認します」は正しい表現である。
②併せて
    「あることを実施する際に一緒に」という意味を伴う。接続詞的または副詞的である。
    したがって、ついでに別のことも確認するという主旨であれば、「併せて確認します」でなければならない。

(23)  私には役不足です
    「そのような大役は私には役不足です」は間違いである。「・・・私では力不足です」が正しい。

    謙遜する場合は「力不足」である。
    相手や第三者を褒める(主役をこなせる人を通行人として使う)場合は「役不足」である。

(24)  待ち合わせ時間
    「時刻」の意味で「時間」を使用する事例を目にすることがある。
     「時間」と「時刻」は似て非なるものである。
          時間・・・1分間、10分間、1時間など
          時刻・・・10時1分、10時10分、11時0分など

    したがって、「待ち合わせ時間」は間違いである。「待ち合わせ時刻」が正しい。
    口語ではたびたびこの誤用に遭遇する。
    「明日の待ち合わせだけど、時間は何時(なんじ)にする?」という表現は、意味は通じるが、厳密なことを言えば間違いである。
    正しくは、「明日の待ち合わせだけど、時刻は何時にする?」であろうか。

(25)  意志表示
    「意志表示」は間違いである。「意思表示」が正しい。

    通常使用されるのは「意思」のほうである。(「意思決定」や「意思疎通」など)
    「意志」を使用するのは限られた場合である。
① 「意志が強い」や「意志が弱い」などの場合
② 「こころざし」ということばに置き換えても不自然でない場合

(26)  次のとうり
    「次のとうり」は間違いである。「次のとおり」が正しい。

    「とおり」を漢字変換すると「通り」が現れるが、「とうり」を漢字変換しても「通り」は現れない。(IME2010の場合)
    なお、「次の通り」という表記は間違いではないのだが、官公庁の公文書では「次のとおり」と表記している。

(27)  汚名挽回
    「汚名挽回」は間違いである。「名誉挽回」または「汚名返上」が正しい。
    2013年12月8日のNHK大河ドラマでも「汚名を挽回する」というせりふがあったが、間違いである。

    「挽回」というのは「取り戻す」という意味である。
    したがって「汚名を取り戻す」という表現はありえない。
    しかし、次の例は間違っていない。
        「遅れを挽回する(取り戻す)」
        「劣勢を挽回する(取り戻す)」
    すなわち、取り戻せることについては「挽回する」という表現が許容される。
    「汚名」は取り戻せないので、「挽回する」とは言わない。

(28)  立替を清算する
    「立替を清算する」は間違いである。「立替を精算する」が正しい。

【清算】人間関係を解消する
  【例】過去を清算する
【精算】詳細に計算して貸借の無い状態にする
  【例】乗り越し運賃を精算する

    間違えやすいのは「借金を清算する」である。「解消する」という意味であれば「清算」であるが、金額を詳細に計算して返済するという意味であれば「精算」である。

    それでは「立替精算」はどうだろうか。
    これは立替を貸借契約とみなすかどうかに依存する。
    会社側に一時的に貸して、のちに返してもらうので、「清算」でも良いように感じられる。
    しかし、「会社側と社員との間の金銭の過不足を補う」という考え方が強く「精算」が正しいとされている。

(29)  耳ざわりが良い
    「耳ざわりが良い」は間違いである。
    正しい表現というものは存在しない。あえて言えば、「耳に心地よい」だろうか。

    「耳ざわり」ということばは、「耳障り」と書く。「耳触り」ではない。「耳障り」は「耳障りだ」という形容動詞の語幹である。「目障り」も同類である。
    「耳障り」ということばだけで不快感を含んでいる。したがって、その良し悪しというものは存在しない。「目ざわり」を良い悪いとは言わないことと同じである。視覚や聴覚は触覚とは異なるのである。

    「耳ざわりが良い」という表現は「舌ざわりが良い」や「肌ざわりが良い」という表現に引きずられたものと推察される。
    「舌ざわり」や「肌ざわり」は「舌触り」や「肌触り」と書く。

    「みみざわり」を漢字変換すると、変換候補として「耳障り」は現れるが「耳触り」は現れない。(IME2010の場合)

    2015年3月11日放送のテレビ朝日「相棒」において、杉下右京を演じる水谷豊が「みみざわりのよい」というせりふを発した。残念なことである。
    2020年6月28日放送のテレビ朝日「必殺仕事人2020」において、与力を演じる杉本哲太が「みみざわりのよい」というせりふを発した。残念なことである。

(30)  見れます
    本件は、いわゆる「ら抜き言葉」である。
    「見れます」は間違いである。「見られます」が正しい。
    「来れます」は間違いである。「来られます」が正しい。
    「着れます」は間違いである。「着られます」が正しい。
    「切れます」は正しい。否定の助詞を付けてみると判りやすい。
    「切る」の否定形は「切らない」であるが、「着る」の否定形は「着ない」である。
    「切る」はラ行五段活用であり、「見る」と「着る」は上一段活用である。

    「しゃべれます」は正しいが、「食べれます」は間違いである。
     これも否定の助詞を付けてみると判りやすい。
    「しゃべる」の否定形は「しゃべらない」であるが、「食べる」の否定形は「食べない」である。
    「しゃべる」はラ行五段活用であり、「食べる」は下一段活用である。

(31)  ◯◯になります
    2014年2月に、勤務先の営業員が見積書をメールに添付して送信する際に、「見積書になります」と表現した。
    なぜ「見積書でございます」と表現しないのか不思議である。

    同様に、「こちらがカタログになります」も不適切である。「こちらがカタログでございます」が正しい。

    レストランにおいて、ウェイトレスがナポリタンスパゲティを客のテーブルに置く際に、「ナポリタンになります」と言うのは不適切である。
    なぜ「ナポリタンでございます」と言わないのか不思議である。

    日本語の将来について、先行き心配になります。(「心配になります」は正しい表現である。)

(32)  ◯◯のほう
    「見積書のほうをお送りいたします」は、おかしな表現である。
    なぜ「見積書をお送りいたします」と言わないのか不思議である。
    但し、見積書と請求書のどちらを送付すべきかという状況であれば、「見積書のほうを」という表現はありえる。

    問い合わせ受付窓口などにおいて、「電話番号のほう、教えていただけないでしょうか。」という表現を聞くことがある。
    「電話番号を教えていただけないでしょうか。」が適切である。

(33)  説明会々場
     「説明会々場」は間違いである。「説明会会場」が正しい。

    同様に、「結婚式々場」は間違いであり、「結婚式式場」が正しい。

(34)  諸言
    論文などの冒頭に序文の意味で「諸言」と書くのは間違いである。「緒言」が正しい。
    「緒言」の読み仮名は「しょげん」または「ちょげん」であるが、後者は慣用的読み方らしい。

    一方「諸元」という用語があるが、これは装置の寸法や重量などのことである。

    「諸言」ということばは存在しない。それは「緒言」または「諸元」の誤植である。

(35)  飛ぶ鳥跡を濁さず
    「飛ぶ鳥跡を濁さず」は間違いである。「立つ鳥跡を濁さず」が正しい。
    「飛ぶ鳥を落とす勢い」という慣用句に引きずられたものと推察される。

    昔、浜田マキ子議員が「平成教育委員会」というテレビ番組に出演した際に、浜田氏曰く
        「『飛ぶ鳥・・・』とも言うわよ」
と発言した。
    その結果、司会のビートたけしは、「『飛ぶ鳥・・・』も正解にしよう」と裁定した。
    この番組は録画放送であり編集することも可能であったと推察されるが、哀しいことである。

(36)  ◯◯できません
    「◯◯できません」というのは、間違いということではない。
    しかし、文字で伝えると突っ慳貪(つっけんどん)な印象を与えかねないので留意が必要である。

    話すという行為(電話)は、感情を伴って表現することができるので、誤解を生じることが少ない。
    しかし、書くという行為(メール)は、感情を伴って表現することが困難なので、誤解を生じることがある。

    少々回りくどいが、「◯◯することは困難です」などの表現が無難である。

    似たような事例で「◯◯してください」という表現も留意が必要である。
    文字にすると命令口調に受け取られかねない。
    「◯◯していただけないでしょうか」などの表現が無難である。

(37)  大丈夫だったりしますか
    2017年3月某日のテレビ東京「昼めし旅」において、番組スタッフが撮影許可を得る際に、地元の漁師に「撮影しても大丈夫だったりしますか」と発言した。
    なぜ「撮影しても構わないでしょうか」と言わないのだろうか。

(38)  今日の誕生日で二十歳になりました
    「ワタシィ、今日が誕生日でぇ、今日ハタチになったのぉ。」は間違いである。
    「ワタシィ、今日が誕生日でぇ、昨日ハタチになったのぉ。」が正しい。
    民法では「1年」の定義を「起点日から翌年の同日の前日」と定めている。
    物理的な「1年」とは異なるのである。
    民法では、例えば「1月1日から12月31日まで」が「1年」である。
    したがって、1月1日が誕生日である場合、12月31日になった時点(深夜0時)で年齢が増加する。

    小学校に同学年として入学することができるのは、「誕生日が4月2日から翌年4月1日まで」である。
    なぜならば、「4月1日時点において満6歳であること」という主旨で(学校教育法で)定められているからである。
    すなわち「4月1日から翌年3月31日までに満6歳になった者」が同学年であり、それは「誕生日が4月2日から翌年4月1日までの者」である。

(39)  お愛想をお願いします
    居酒屋などで支払をする際に客側がこのように言うのは間違いである。
    「お愛想」とは、店側が代金を受け取る際に、笑顔で受け取ろうという意味である。
    したがって、客側が「お愛想」という言うこと自体ありえない。

(40)  ◯◯のヤツ
    例えば「もっと長いヤツです」は乱暴な表現である。「もっと長いタイプです」などが適切である。
    特に、女性が「ヤツ」を使用するのは避けていただきたい。

(41)  ◯◯みたいな
    「◯◯と同じことである」という意味で「◯◯みたいな」と表現するのは間違いである。

    「AみたいなB」は、「BはAに似てはいるが同一ではないかもしれない」という意味である。

(42)  うちの女の子
    「うちの女の子が送付します」は品位が損なわれる。「弊社の女子従業員が送付します」が正しい。
    自社のことを「うち」というのはやめたほうが良い。
    女子従業員のことを「女の子」と表現することもやめたほうが良い。
    なお「女性従業員」という表現には敬意が含まれているので、自社の従業員のことを表現することばとしてはこれも不適切である。

(43)  お求めやすい
    「お求めやすい」は間違いである。「お求めになりやすい」が正しい。
    多くの広告で「お求めやすい」が見受けられる。哀しいことである。

    ただし、既に慣用句として定着したとする意見もある。

(44)  かせんじき
    「河川敷」を「かせんじき」と読むのは間違いである。「かせんしき」が正しい。
    「風呂敷(ふろしき)」と同じである。「下敷(したじき)」などの読みに引きずられている可能性がある。

    アナウンサーが「かせんじき」と言ったのを聞いたことがない。

(45)  ◯◯するかたちです
    「◯◯するかたちです」はおかしな表現である。
    最近、電話の相手がこの「かたち」を連発する状況に遭遇するが、違和感を感じる。
    説明する際に、やたらと「かたちです」を発する。

    なぜ「◯◯です」や「◯◯します」と言わないのだろうか。

(46)  ◯◯とか
    「オススメは何ですか」と尋ねた際に「◯◯とか」という返事を聞くことがあるが、少々気落ちしてしまう。
    特に「◯◯とかぁ」と言ったままあとの言葉が無いというのは困りものである。