モノクロ写真の似合うアイドル!ザ・ピーナッツ

2020年5月23日(土)


    ザ・ピーナッツについては、現役時代を含めて、ふたりの存命中はさほどの意識は無かったのだが、ふたりが他界してから急にいとおしくなった。
    写真を紹介したくて、インターネットで探した。自分としては、こちらの写真が自分が抱くイメージに最も合致している。敢えてモノクロ写真を選んだ。

    ふたりの概要は次のとおりである。

(1)  氏名
【姉】伊藤エミ(本名:伊藤日出代(ひでよ))
     (向かって左側、ハーモニー担当)
     (目の横にホクロ有り)
【妹】伊藤ユミ(本名:伊藤月子(つきこ))
     (向かって右側、メロディ担当)
     (目の横にホクロ無し)
【ハーモニー】低音部などのこと
メロディ】メインパートのこと

(2)  生年月日  1941年4月1日

    これは、同学年の中で最も遅い誕生日である。同学年とは、誕生日が4月2日から翌年4月1日までなのである。

(3)  生誕地  愛知県常滑町(とこなめちょう)(現:常滑市(とこなめし))

(4)  スカウト
    ウィキペディアによると、ふたりは、伊藤シスターズとして名古屋市内のレストランで歌っていた際に、渡辺プロダクションの渡邉普(わたなべしん)社長にスカウトされた。
    ウィキペディアでは「レストラン」と書かれているが、当時、歌を歌う飲食店をレストランと表現することが適切であるかどうか疑問である。クラブかキャバレーではないかと推察される。何かの番組で、ザ・ピーナッツのスカウトについて誰かが「名古屋のクラブで・・・」と発言したような記憶がある。
    ふたりは、社長宅に下宿しつつ、宮川泰(みやがわひろし)の歌唱指導を受けた。

(5)  デビュー
    1959年4月、「可愛い花」でデビューした。18歳である。

(6)  シャボン玉ホリデー
    日本テレビ系列の番組であり、自分にとって、この番組の印象は非常に強い。日曜日の18時30分からの30分番組である。子供向けの時間帯であるが、内容は多少大人向けであった。
<定番のギャグ>
    寝床で横になっているハナ肇に対して、ピーナッツが
    「おとっつぁん、おかゆができたわよ。」
    ハナ肇が手首をふらふらさせながらゆっくりと起き上がって、
    「いつも、すまないねぇ。」
    このシーンを小学校のクラスで真似しあった。
    ザ・ピーナッツが引退したのちに、ふたりがハナ肇の病室に見舞いに行くと、必ずこのギャグが再現されたそうな。

(7)  お気に入り曲
    ①〜⑦を愛車のBGMにしている。①については、我がスマホの着メロであり、かつ目覚ましアラーム音である。

①  スターダスト&マリア・エレーナ
(動画はこちら)
    この2曲は全くの別物であるが、自分にとっては2曲で一式である。
    「スターダスト」はシャボン玉ホリデーのエンディング曲である。この曲を歌うふたりの後ろでハナ肇が挨拶する。その最後にハナ肇がふたりをからかう。ふたりがハナ肇に肘鉄を食らわす。ふたりのタイミングが見事に一致しているのが不思議であった。
    その後、ふたりが画面から消え、マリア・エレーナという曲のギター演奏となる。当時の番組は生放送であり、番組の尺(放送時間)を予定に合わせるための工夫であったと推察される。
    スターダストの作曲はホーギー・カーマイケルである。彼は、極秘で来日した際にたまたまシャボン玉ホリデーを見た。そして日本テレビに電話して、「自分のイメージ通りに歌っている」と称賛する旨を伝えた。翌週、彼は同番組に出演した。
    ハナ肇が他界した際に、中尾ミエが、(トーク番組か囲み取材であったと記憶しているが、)「臨終の病室でザ・ピーナッツがスターダストを歌った」というエピソードを披露した。
「シャボン玉ホリデー」の名シーンはこちら該当部分は9分45秒以降である。

    番組内では、スターダストを「Beside a garden wall」(作詞:ミッチェル・パリッシュ)から歌い始める。当時の自分は、それが本来の歌詞の途中であることを知らなかった。

②  ふりむかないで
(動画はこちら)
    これは、メロディとハーモニーの歌い出しをずらした歌である。メロディの「なっはっはっはいぃでぇ」とハーモニーの「なっはっはっはははぁー」が特徴である。この曲が出た時は、メロディとハーモニーをずらして歌っていたが、YouTube(ユーチューブ)にそのフルバージョンの動画を見つけることができない。初期以外の動画ではメロディとハーモニーをずらしていない。ずらして歌う動画を見たい。
    この曲には、「靴下直しているのよ」(作詞:岩谷時子)という、子供にはやや刺激的な歌詞が含まれている。この「靴下」というのはストッキングのことである。当時のストッキングは、太もも背面からかかとまでに繋ぎ目があり、その繋ぎ目を真っ直ぐにすることは女性にとって重要な身だしなみであった。その後、繋ぎ目のないシームレスストッキングが開発され、「靴下を直す」は死語となってしまった。
    当時はアメリカンポップス全盛期であり、アメリカの曲に日本語の歌詞を付けた歌(いわゆるカバー曲)が当たり前であったが、「ふりむかないで」は純粋な日本製のポップスであり、日本最初の和製ポップスと言われている。すなわちJ-POP第1号である。
    ザ・ピーナッツは、「ふりむかないで」という歌詞を「ふ
、り、むっ、か、なっはっはっはいぃでぇ」というふうに区切って発声し、特に「か」にアクセントを付けて歌っている。歌唱指導した宮川泰(みやがわひろし)のなせるワザであると推察される。
    また、「直しているのよ」の部分を「直してるのよ」とし、「よ」にアクセントを付けて「直してるのーよっ」と歌っている。
    「デート」ではなく「デイト」と言っている。

    歌詞の解釈において疑問がある。曲中で「ふりむかないで」を計4回発している。1回目と2回目、および4回目はデイト相手である「あなた」に向けて言っている。これは判る。疑問に感じているのは、3回目の「ふりむかないで」である。
「ふりむかないで」という歌詞のあとに「ないしょのお話なのよ」(作詞:岩谷時子)という歌詞が続いている。
    3回目も「あなた」に対して言っているのだろうか。そうすると、誰と「ないしょのお話」をしているのだろうか。女友達(第三者)?。デイトに付いて来ているはずはないし、携帯電話の無い時代だし、一体誰と「ないしょのお話」をしているのだろうか。
    もし、「ないしょのお話」の相手が彼だとすると、3回目の「ふりむかないで」の相手は女友達(第三者)だということになるが、この場合も、女友達(第三者)がデイトに付いて来ていることになり、やはり釈然としない。
    3回目の「ふりむかないで」の相手も「ないしょのお話」の相手も彼だという解釈もあるが、「ないしょのお話だからふりむかないで」というのは違和感がある。「ないしょのお話」は、通常は互いに顔を近づけてやるものだから。
    考え始めると、夜も眠れな〜い。

③  恋のバカンス
(動画はこちら)
    この曲には、「くちづけ」や「裸」など、子供にはやや刺激的な歌詞が含まれている。
    「恋をしよう」
(作詞:岩谷時子)の「う」にアクセントを付けて、「恋をし、よ、お」というふうに歌っている
    この曲は旧ソ連で大ヒットしたらしい。
    今でも「NHKのど自慢」の定番曲であり、我が子はその番組を見ていてこの歌を覚えたと言っていた。

④  可愛い花
(動画はこちら)
    ザ・ピーナッツはこの曲のレコーディングを2回(1959年と1967年)行っており、詳細として記載した動画ではその両方を紹介している。

⑤  情熱の花
(動画はこちら)
    この曲には原曲があり、それはベートヴェン作曲の「エリーゼのために」である。
    ザ・ヴィーナスの「キッスは目にして」という曲も「エリーゼのために」を編曲したものである。

⑥  ウナ・セラ・ディ東京
(動画はこちら)
    「私のことを」
(作詞:岩谷時子)を「のことうぉ」というふうに歌っている。

⑦  赤坂の夜は更けて
(動画はこちら)
    この曲は競作であり、幾人かの歌手が歌っている。その中でも、西田佐知子が代表的であるようだが、西田佐知子は関口宏と結婚して早々に芸能界を引退したので、自分としてはザ・ピーナッツのほうが記憶に残っている。

⑧  モスラの歌
(動画はこちら)
    この曲は、映画「モスラ」の挿入歌であり、ザ・ピーナッツ扮する小美人(妖精)がモスラに語りかける歌である。
    当時、歌詞が判らなかったのだが、インターネットで歌詞を見つけることができた。いい時代になったものである。
    モスラはインファント島の守り神であり、その島はインドネシア諸島のひとつである。この曲の歌詞はインドネシア語である。
<歌詞>(作詞:由起こうじ)
モスラヤ モスラ
ドゥンガン カサクヤン
インドゥムゥ
ルスト ウィラードア
ハンバ ハンバムヤン
ランダ バンウンラダン
トゥンジュカンラー
カサクヤーンム

(8)  映画
(動画はこちら)
    
「私と私(わたしとわたし)」は、ザ・ピーナッツの初主演映画である。離ればなれになった双子の姉妹が偶然再会して、「ザ・ピーナッツ」という歌手としてデビューするというストーリーである。
    この映画には特別な思いがある。当時(1962年)、永楽(えいらく)という映画館で子供向けの洋画が上映されていて、小学生だった自分は、母親から、友人とふたりでそれを見てくるように言われた。友人とふたりで出かけたが、永楽(えいらく)の前に来ると、友人が「キングコング対ゴジラを見ようか。」と言った。自分は直ちに合意し、東宝という映画館の方に入場した。当時の映画は2本立てであって、「キングコング対ゴジラ」の同時上映が「私と私」であった。入場したら、「キングコング対ゴジラ」が上映途中であった。我々はそれを最後まで見て、次に「私と私」を見た。さらに「キングコング対ゴジラ」を最初から見直した。映画館から出たときはすでに夜になっていて、帰宅したのは19時頃であった。母親は何もとがめなかったが、兄が永楽まで行って「小学生男児ふたりが入場しなかったか」尋ね、念のために場内呼び出しをしてもらったと聞いた。(当時の映画館では、必要に応じて上映中に従業員がホールの扉を開けて大声で「◯◯さま〜」と呼んでくれていたのである。)
    自分は「親が心配する」などということを全く予想しなかった。反省した。
    「ふりむかないで」は、この映画の挿入歌である。