昭和は遠くなりにけり!懐かしのテレビ番組

2020年5月24日(日)


    今や死語となってしまったが、私はテレビっ子であった。主に1960年代のテレビ番組の中でお気に入り番組を紹介する。YouTube(ユーチューブ)のおかげ。いい時代になったものである。

①  シャボン玉ホリデー
    この番組についてはこちらを。

②  少年ジェット
    この番組は、当時「まぼろし探偵」と人気を二分するものであった。「少年ジェット」では和泉(いずみ)雅子が、「まぼろし探偵」では吉永小百合が共演した。
     少年ジェットが使うミラクルボイスを皆で真似した。両足を肩幅に、両腕を真横に伸ばしてから、左手を腰に、右手を口元に、「う〜、や~、たぁ〜。
    そうすると地震が起こり、悪人が衝撃を受ける。実際には撮影カメラを揺らしているだけというのが、子供でも判った。
    主人公を演じる子役は途中で交代した。初代が「少年」にふさわしくない年齢になったためと感じた。自分にとっての少年ジェットは初代のほうであり、二代目のほうについては、放送期間が短かったこともあり、ほとんど記憶が無い。

    主題歌の最後に、「ジェー、イー、ティー」という歌詞がある。当時、自分はアルファベットを知らなかったのでどういう意味か判らなかった。
    番組のオープニングタイトルでは、ジットではなくジットとなっていることに気付いた。ネット情報によると、原作の漫画ではジェットになっている。

③  豹の眼(ジャガーのめ)
    これは、月光仮面のあと番組であり、大瀬康一(おおせこういち)が引き続き主演した。月光仮面については、当時まだ我が家にテレビが無かったので馴染みが薄いが、「豹の眼(ジャガーのめ)」は毎週欠かさず見た。
    第1部のオープニングでは、ラクダに乗って砂漠を進む王子様風の主人公が画面を横切るという光景が繰り返されるというものであった。その動画を見つけることができない。
    第2部になると、「笹りんどう」という覆面ヒーローが現れるようになり、オープニングもその「笹りんどう」が馬で掛け抜けるというシーンになった。「笹りんどう」が現れるようになったことによって、子供ながらに、月光仮面の二番煎じであると感じた。
    「笹りんどう」はあの衣装をどこに隠していたのだろうかと不思議であった。

④  隠密剣士
    この番組は、「豹の眼(ジャガーのめ)」のあと番組であり、引き続き大瀬康一が主役(秋草新太郎)を演じた。第1部では剣豪との勝負というありがちなテーマであったが、第2部で甲賀忍者を登場させたことによって、忍者ブームが起きた。少年マガジンは、毎週のように忍者に関する記事を掲載した。
    シリーズの途中で主役が林真一郎に交代した。自分はまだ小学生だったので詳細は不明であるが、大瀬康一と事務所との不協和音があったためと記憶している。

⑤  琴姫七変化
    この番組は、ヒーロー物の女性版であり、主演は松山容子である。当時リアルタイムで見たかもしれないが、よく覚えていない。しかし、主題歌については印象が強い。当時は、歌手が花村菊江であることを知らなかったが、YouTube(ユーチューブ)で初めて知った。

⑥  ララミー牧場
    この番組は、西部劇の走りと言っていいだろう。淀川長治が番組の冒頭と最後に登場して解説した。番組最後の「さよなら、さよなら、さよなら。」が流行語になった。
    また、当時朝日麦酒(現:アサヒビール)が提供していて、バヤリースオレンヂ(現:バヤリースオレンジ)のコマーシャルにチンパンジーが登場し、クレージーキャッツがセリフを担当した。そのコマーシャルにおける「良かったねぇ、酋長。」も流行した。

⑦  逃亡者
    この番組は、オープニングのナレーションが流行した。これもYouTube(ユーチューブ)のおかげで全文を確認することができた。
    なお、楠田枝里子(くすだえりこ)は、ある番組でこのナレーションを暗唱してみせたことがある。

⑧  スパイ大作戦
    この番組は、ピーター・グレイブス扮するジム・フェルプスが、指定された場所からテープレコーダーを取り出し、それを再生して指令(声:大平透)を聴く冒頭のシーンが有名である。
    なお、原題は「ミッション・インポシブル」であるが、トム・クルーズ主演の「ミッション・インポシブル」は内容が全く異なり、単なるスパイ映画でしかない。

⑨  宇宙大作戦
    この番組は、ウイリアム・シャトナー扮するカーク船長とレナード・ニモイ扮するミスタースポックを含む乗組員がエンタープライズ号で宇宙を調査飛行する物語である。ウイリアム・シャトナーはこの番組で飛躍したと言っても過言ではないように感じられる。

モノクロ写真の似合うアイドル!ザ・ピーナッツ

2020年5月23日(土)


    ザ・ピーナッツについては、現役時代を含めて、ふたりの存命中はさほどの意識は無かったのだが、ふたりが他界してから急にいとおしくなった。
    写真を紹介したくて、インターネットで探した。自分としては、こちらの写真が自分が抱くイメージに最も合致している。敢えてモノクロ写真を選んだ。

    ふたりの概要は次のとおりである。

(1)  氏名
【姉】伊藤エミ(本名:伊藤日出代(ひでよ))
     (向かって左側、ハーモニー担当)
     (目の横にホクロ有り)
【妹】伊藤ユミ(本名:伊藤月子(つきこ))
     (向かって右側、メロディ担当)
     (目の横にホクロ無し)
【ハーモニー】低音部などのこと
メロディ】メインパートのこと

(2)  生年月日  1941年4月1日

    これは、同学年の中で最も遅い誕生日である。同学年とは、誕生日が4月2日から翌年4月1日までなのである。

(3)  生誕地  愛知県常滑町(とこなめちょう)(現:常滑市(とこなめし))

(4)  スカウト
    ウィキペディアによると、ふたりは、伊藤シスターズとして名古屋市内のレストランで歌っていた際に、渡辺プロダクションの渡邉普(わたなべしん)社長にスカウトされた。
    ウィキペディアでは「レストラン」と書かれているが、当時、歌を歌う飲食店をレストランと表現することが適切であるかどうか疑問である。クラブかキャバレーではないかと推察される。何かの番組で、ザ・ピーナッツのスカウトについて誰かが「名古屋のクラブで・・・」と発言したような記憶がある。
    ふたりは、社長宅に下宿しつつ、宮川泰(みやがわひろし)の歌唱指導を受けた。

(5)  デビュー
    1959年4月、「可愛い花」でデビューした。18歳である。

(6)  シャボン玉ホリデー
    日本テレビ系列の番組であり、自分にとって、この番組の印象は非常に強い。日曜日の18時30分からの30分番組である。子供向けの時間帯であるが、内容は多少大人向けであった。
<定番のギャグ>
    寝床で横になっているハナ肇に対して、ピーナッツが
    「おとっつぁん、おかゆができたわよ。」
    ハナ肇が手首をふらふらさせながらゆっくりと起き上がって、
    「いつも、すまないねぇ。」
    このシーンを小学校のクラスで真似しあった。
    ザ・ピーナッツが引退したのちに、ふたりがハナ肇の病室に見舞いに行くと、必ずこのギャグが再現されたそうな。

(7)  お気に入り曲
    ①〜⑦を愛車のBGMにしている。①については、我がスマホの着メロであり、かつ目覚ましアラーム音である。

①  スターダスト&マリア・エレーナ
(動画はこちら)
    この2曲は全くの別物であるが、自分にとっては2曲で一式である。
    「スターダスト」はシャボン玉ホリデーのエンディング曲である。この曲を歌うふたりの後ろでハナ肇が挨拶する。その最後にハナ肇がふたりをからかう。ふたりがハナ肇に肘鉄を食らわす。ふたりのタイミングが見事に一致しているのが不思議であった。
    その後、ふたりが画面から消え、マリア・エレーナという曲のギター演奏となる。当時の番組は生放送であり、番組の尺(放送時間)を予定に合わせるための工夫であったと推察される。
    スターダストの作曲はホーギー・カーマイケルである。彼は、極秘で来日した際にたまたまシャボン玉ホリデーを見た。そして日本テレビに電話して、「自分のイメージ通りに歌っている」と称賛する旨を伝えた。翌週、彼は同番組に出演した。
    ハナ肇が他界した際に、中尾ミエが、(トーク番組か囲み取材であったと記憶しているが、)「臨終の病室でザ・ピーナッツがスターダストを歌った」というエピソードを披露した。
「シャボン玉ホリデー」の名シーンはこちら該当部分は9分45秒以降である。

    番組内では、スターダストを「Beside a garden wall」(作詞:ミッチェル・パリッシュ)から歌い始める。当時の自分は、それが本来の歌詞の途中であることを知らなかった。

②  ふりむかないで
(動画はこちら)
    これは、メロディとハーモニーの歌い出しをずらした歌である。メロディの「なっはっはっはいぃでぇ」とハーモニーの「なっはっはっはははぁー」が特徴である。この曲が出た時は、メロディとハーモニーをずらして歌っていたが、YouTube(ユーチューブ)にそのフルバージョンの動画を見つけることができない。初期以外の動画ではメロディとハーモニーをずらしていない。ずらして歌う動画を見たい。
    この曲には、「靴下直しているのよ」(作詞:岩谷時子)という、子供にはやや刺激的な歌詞が含まれている。この「靴下」というのはストッキングのことである。当時のストッキングは、太もも背面からかかとまでに繋ぎ目があり、その繋ぎ目を真っ直ぐにすることは女性にとって重要な身だしなみであった。その後、繋ぎ目のないシームレスストッキングが開発され、「靴下を直す」は死語となってしまった。
    当時はアメリカンポップス全盛期であり、アメリカの曲に日本語の歌詞を付けた歌(いわゆるカバー曲)が当たり前であったが、「ふりむかないで」は純粋な日本製のポップスであり、日本最初の和製ポップスと言われている。すなわちJ-POP第1号である。
    ザ・ピーナッツは、「ふりむかないで」という歌詞を「ふ
、り、むっ、か、なっはっはっはいぃでぇ」というふうに区切って発声し、特に「か」にアクセントを付けて歌っている。歌唱指導した宮川泰(みやがわひろし)のなせるワザであると推察される。
    また、「直しているのよ」の部分を「直してるのよ」とし、「よ」にアクセントを付けて「直してるのーよっ」と歌っている。
    「デート」ではなく「デイト」と言っている。

    歌詞の解釈において疑問がある。曲中で「ふりむかないで」を計4回発している。1回目と2回目、および4回目はデイト相手である「あなた」に向けて言っている。これは判る。疑問に感じているのは、3回目の「ふりむかないで」である。
「ふりむかないで」という歌詞のあとに「ないしょのお話なのよ」(作詞:岩谷時子)という歌詞が続いている。
    3回目も「あなた」に対して言っているのだろうか。そうすると、誰と「ないしょのお話」をしているのだろうか。女友達(第三者)?。デイトに付いて来ているはずはないし、携帯電話の無い時代だし、一体誰と「ないしょのお話」をしているのだろうか。
    もし、「ないしょのお話」の相手が彼だとすると、3回目の「ふりむかないで」の相手は女友達(第三者)だということになるが、この場合も、女友達(第三者)がデイトに付いて来ていることになり、やはり釈然としない。
    3回目の「ふりむかないで」の相手も「ないしょのお話」の相手も彼だという解釈もあるが、「ないしょのお話だからふりむかないで」というのは違和感がある。「ないしょのお話」は、通常は互いに顔を近づけてやるものだから。
    考え始めると、夜も眠れな〜い。

③  恋のバカンス
(動画はこちら)
    この曲には、「くちづけ」や「裸」など、子供にはやや刺激的な歌詞が含まれている。
    「恋をしよう」
(作詞:岩谷時子)の「う」にアクセントを付けて、「恋をし、よ、お」というふうに歌っている
    この曲は旧ソ連で大ヒットしたらしい。
    今でも「NHKのど自慢」の定番曲であり、我が子はその番組を見ていてこの歌を覚えたと言っていた。

④  可愛い花
(動画はこちら)
    ザ・ピーナッツはこの曲のレコーディングを2回(1959年と1967年)行っており、詳細として記載した動画ではその両方を紹介している。

⑤  情熱の花
(動画はこちら)
    この曲には原曲があり、それはベートヴェン作曲の「エリーゼのために」である。
    ザ・ヴィーナスの「キッスは目にして」という曲も「エリーゼのために」を編曲したものである。

⑥  ウナ・セラ・ディ東京
(動画はこちら)
    「私のことを」
(作詞:岩谷時子)を「のことうぉ」というふうに歌っている。

⑦  赤坂の夜は更けて
(動画はこちら)
    この曲は競作であり、幾人かの歌手が歌っている。その中でも、西田佐知子が代表的であるようだが、西田佐知子は関口宏と結婚して早々に芸能界を引退したので、自分としてはザ・ピーナッツのほうが記憶に残っている。

⑧  モスラの歌
(動画はこちら)
    この曲は、映画「モスラ」の挿入歌であり、ザ・ピーナッツ扮する小美人(妖精)がモスラに語りかける歌である。
    当時、歌詞が判らなかったのだが、インターネットで歌詞を見つけることができた。いい時代になったものである。
    モスラはインファント島の守り神であり、その島はインドネシア諸島のひとつである。この曲の歌詞はインドネシア語である。
<歌詞>(作詞:由起こうじ)
モスラヤ モスラ
ドゥンガン カサクヤン
インドゥムゥ
ルスト ウィラードア
ハンバ ハンバムヤン
ランダ バンウンラダン
トゥンジュカンラー
カサクヤーンム

(8)  映画
(動画はこちら)
    
「私と私(わたしとわたし)」は、ザ・ピーナッツの初主演映画である。離ればなれになった双子の姉妹が偶然再会して、「ザ・ピーナッツ」という歌手としてデビューするというストーリーである。
    この映画には特別な思いがある。当時(1962年)、永楽(えいらく)という映画館で子供向けの洋画が上映されていて、小学生だった自分は、母親から、友人とふたりでそれを見てくるように言われた。友人とふたりで出かけたが、永楽(えいらく)の前に来ると、友人が「キングコング対ゴジラを見ようか。」と言った。自分は直ちに合意し、東宝という映画館の方に入場した。当時の映画は2本立てであって、「キングコング対ゴジラ」の同時上映が「私と私」であった。入場したら、「キングコング対ゴジラ」が上映途中であった。我々はそれを最後まで見て、次に「私と私」を見た。さらに「キングコング対ゴジラ」を最初から見直した。映画館から出たときはすでに夜になっていて、帰宅したのは19時頃であった。母親は何もとがめなかったが、兄が永楽まで行って「小学生男児ふたりが入場しなかったか」尋ね、念のために場内呼び出しをしてもらったと聞いた。(当時の映画館では、必要に応じて上映中に従業員がホールの扉を開けて大声で「◯◯さま〜」と呼んでくれていたのである。)
    自分は「親が心配する」などということを全く予想しなかった。反省した。
    「ふりむかないで」は、この映画の挿入歌である。


人生の道しるべ!本の想い出

2020年5月18日(月)


    私が没頭した本に想いをはせてみた。

①  ボッコちゃん
    作者は星新一(ほししんいち)である。私は、1971年に大学に進学した。当時、大学への通学時間が片道2時間であった。スマホなど無かった時代であり、その時間を潰すためには本が必要であった。書店で文庫本を眺めているうちに、この本に目が止まった。なぜこの本だったのか、その理由は思い出せない。この本を一気に読み終えたあとは、星新一(ほししんいち)の文庫本を全て読みあさった。
    私は、1977年頃に社内のある女性にこの本を贈ったことがある。彼女は、この本を読み終えた後、図書館で星新一(ほししんいち)の本を読みあさったらしい。ほどなくして、その女性は、本の贈り主とともに歩む人生を選択した。

②  点と線
    作者は松本清張(まつもとせいちょう)である。私は星新一(ほししんいち)の本を読み尽くしたのちに、この本に出会った。1972年頃であり、私はまだ大学生であった。この本を一気に読み終えたあとは、松本清張(まつもとせいちょう)の文庫本を全て読みあさった。
    その中で、「蒼い描点(あおいびょうてん)」に登場する旅館「対星館(たいせいかん)」は、ケーブルカーに乗って谷底に降りていく宿として紹介されている。私は、2000年頃に連れ合いとふたりで宿泊した。もちろんそのケーブルカーに乗った。

③  飢餓海峡
    作者は水上勉(みなかみつとむ(後の「
水上勉(みずかみつとむ)」)である。1973年頃、まだ大学生であった私が初めて北海道に行った時に、携行した文庫本である。詳細はこちら
    作品の中で、凶悪犯である犬飼多吉(いぬかいたきち)は、のちに樽見京一郎(たるみきょういちろう)という名の慈善家となった。私は、「郎」がつく名は善人を表すと感じた。それは、我が子の命名に少なからず影響した。

④  寝台特急殺人事件
    作者は西村京太郎である。1975年に社会人になった私は、出張の移動時間に、西村京太郎の新書を読んだ。この本を一気に読み終えたあとは、西村京太郎の新書を全て読みあさり、新刊が出れば直ちに購入した。私が読んだのちに、連れ合いも読んだ。テレビ放送についてもほとんど視聴済みである。

⑤  鉄道旅行術
    作者は種村直樹(たねむらなおき)である。この本は、鉄道切符のルールを判りやすく説明した実用書である。私は、この本をきっかけとして、旅客(りょかく)営業規則に興味を持つようになり、ワイド周遊券やミニ周遊券ではなく普通周遊券を利用するようになった。この本を一気に読み終えたあとは、種村直樹(たねむらなおき)の本をほとんど読みあさった。

⑥  時刻表2万キロ
    作者は宮脇俊三(みやわきしゅんぞう)である。私は、この本をきっかけとして、全線完乗を意識することとなった。この本を一気に読み終えたあとは、宮脇俊三(みやわきしゅんぞう)の単行本をほとんど読みあさった。

<番外> 時刻表
     JRが発足(ほっそく)する前はJTBの時刻表を愛用していたが、JRが発足(ほっそく)してからはJRの時刻表を愛用した。毎月購入するほどではなかったが、季節列車が登場する号を購入した。すなわち年に4冊である。数ページの誤差で、見たい
ページを開くことができた。世の中にインターネットが登場するまでは、時刻表は隠れたベストセラーと言われた。インターネットが普及すると、私もインターネットを利用するようになり、時刻表を購入することはなくなった。
    私が、もしスマホを使えない無人島で暮らすことになって、本を1冊だけ持参することができるなら、それはJR時刻表である。季節列車の発表に合わせて、年4回届けてほしい。

月日は百代の過客!「奥の細道」ならぬ「猫のケモノ道」

2020年5月5日(火)


    我が家に1匹のオス猫が住み着いている。名前はブチである。他にも、隣家が飼っている猫2匹や、保護者不明の猫もやってくる。我が家の周囲はそんな猫たちのケモノ道になっている。ブチにやったエサを他の猫も食べている。猫の食費がかさむ。そんな思いにひたっていた時、有名な一節(いっせつ)をもとにその心境を表せることに気づいた。

ケモノ
尽きぬエサ代の価格にして
行かふ(いきこう)マタタビ好き也(なり)
筆不精(ふでぶしょう)

<奥の細道>(原文)
月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして
行かふ年(いきこうとし)もまた旅人也(たびびとなり)
松尾芭蕉(まつおばしょう)

ブチの昼寝


投稿貧者に救済を!Facebookのニュースフィード

2020年5月1日(金)


    Facebook(フェイスブック)を利用していて疑問に感じたことがある。ニュースフィードへの表示ルールのことである。

    先日、ある「友達」が投稿したという通知が届いた時に、通知をタッチせずにFacebookを開いたら、その「友達」の投稿がニュースフィードに表示されていなかった。ネット情報によると、表示順序については投稿頻度が関連しているようであり、必ずしも最新の投稿がトップになるわけではない。トップになるように設定することもできるようで、トライしてみたが意図した結果にならなかった。
    ニュースフィードに表示されなくても個人のプロフィールにあるタイムラインのほうには必ず新しい投稿から順に表示されるので、そちらで確認するしかない。
    私の投稿は「友達」のニュースフィードのトップに表示されているだろうかと危惧される。