私の原産地は北九州市であり、北九州市で使われる方言について言及してみたい。博多弁はテレビでもかなり披露されるが、北九州弁を聞くことは非常に少ない。北九州を舞台にしたドラマが少ないためであろう。北九州を舞台にしたドラマで有名なのは、岩下俊作(いわしたしゅんさく)の小説「無法松の一生」や五木寛之(いつきひろゆき)の小説「青春の門」くらいではなかろうか。「青春の門」では、吉永小百合と大竹しのぶの北九州弁が印象に残っている。
① 「○○ち」と「○○と」
北九州弁の中で、本州人が最もよく耳にし奇異に感じる表現が「○○ち」と「○○と」である。
「○○ち」は「言う」と一緒に使われることが多い。「○○ち言う」というのは、標準語の「○○と言う」の意である。例えば、標準語の「○○と言っていた」は、北九州弁では「○○ち言うとった」である。また、北九州弁で「○○ちいう字は・・・」と言うと、それは「○○という字は・・・」の意である。
また、北九州弁の「○○と」というのは、標準語では相当する言葉が思いあたらない。例えば、標準語の「今、ごはん食べているよ」は、北九州弁では「今、ごはん食べようと」である。敢えて言えば、強調の助詞ということであろうか。「○○と」は北九州弁に限らず、博多弁でも同様に存在する。キットカットという菓子は、博多弁の「きっと勝つと」に引っかけて、合格祈願の菓子として有名になった。
「○○と」の語尾を上げて「○○と?」と言うと疑問文になる。「○○ち」と「○○と?」が併せて使われることがある。例えば、「何(なん)ち言いようと?」という具合である。これは、「何(なん)と言っているの?」という意味である。何度も聞き返すときは、「何(なん)ち?」、「何(なん)ち?」と連呼する。
② なおす
これは「しまう」という意味である。「なおす」は方言らしい響きが無いので、北九州人は「なおす」が標準語だと思っている人もいる。かく言う私もそのひとりであった。北九州市出身者同士で北九州弁にまつわる失敗談に話が及ぶと、必ずこの「なおす」が話題になる。これは、「しまう」という行為が、ビジネスにおいて多発する行為であるためと推察される。
③ しきる
これは、「できる」のことであり、ある行為を行うことが可能であるという意味である。すなわち、「・・・しきる」とは、「・・・することができる」の意であり、動詞「する」と動詞「できる」が合成されて生まれた言葉であると推察される。「できる?」という意味で「しきる?」と尋ねる。できる場合は「しきるよ」と答えるのだが、できない場合は「しきらん」と答える。北九州弁では「しきらん」であるが、博多弁では「しきりきらん」となる。長谷川法世(はせがわほうせい)の劇画「博多っ子純情」では、エピソードごとに副題がついていて、第1話の副題が「しきりきらん」である。
時代が進むにつれて、急速に方言が失われるようになったと感じられる。特にテレビの影響が大きい。私も北九州弁がすっかり抜けてしまった。
連れ合いは、兵庫県赤穂市(あこうし)で生まれ育ったので、関西弁の流れをくむ赤穂(あこう)弁を使っていたが、最近は「・・・しちゃってる」などと言うようになってしまった。
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